整形外科靴技術
Orthopädie Schuh Technik



ドイツ整形外科靴技術が産声を上げたのは、1919年のことです。

第1次大戦の敗戦国ドイツでは、多くの戦傷者が生み出され、その人たちへの対処が、当時の大きな政治課題のひとつになっていました。
そこで、政府の要請を受けた整形外科医たちが、足部障碍者への対処に必要な特殊な靴を供給するために、優れた技術を持った靴製造職人(シュー・マッハー・マイスター)に協力を依頼することになりました。

それが、今日につながるドイツ整形外科靴技術の出発点なのです。
つまり、この技術は、医者の仕事を靴職人が手伝うところから始まったのです。

ですから、この技術は、最初から医者が主導した、医学的根拠に基づいた製靴技術だったわけで、当然、それに協力した靴職人たちにも、医学的知識と共に医療にかかわる職業としての高いモラルが要求されたのです。

もっとも、ドイツでは中世以来多くの職人(マイスター)の中でも靴職人は特別に高い地位を与えられており、この時も医者が主導するといっても、実際は、困って頼んできた医者に優秀な靴職人が「協力してやろう」という関係だったようで、この職業的自負心は、今日の整形外科靴マイスターにも受け継がれているようです。

そして、20年近いドクターとシュー・マイスターとの協働によって、多大な技術的成果をあげると同時に強固な教育システムが確立され、1937年に整形外科靴マイスターの資格制度が整うことになります。

そこでは、シュー・マイスターとして製靴技術を身に付ける前に、解剖学、生理学等の医学的知識と臨床経験に基づく対処技術を獲得することが必須となり、ここに、伝統的なシュー・マッハー・マイスターとはまったく別の、医療という対人技術と製靴という製造技術の両面を併せ持った新しい専門職人=整形外科靴製造(オートペディーシュー・マッハー)マイスターが誕生することになったのです。

第2次大戦中の停滞の後、戦後は、東西分裂下で体制の違いはありましたが、東西共に大きく進展した医療・福祉行政に支えられて飛躍的に発展することになりました。

特に、先進福祉社会への大きな歩みを遂げた70年代の西ドイツにおいて、他の多くの福祉制度の充実とともに、整形外科靴技術の分野でも現在に至る制度が完成しました。
そして今日では、ドイツにおける障碍者福祉の先進性を特徴付ける重要な技術のひとつとして、それを担うマイスターの職業とともに、全社会的に完全に定着しています。

マイスターの資格を取得するためには、高校卒業後、専門学校での医学的知識の勉学と高度な製靴技術の実習に加えた、マイスター制度(複数のマイスター工房での見習制度)のもとでの厳しい修業によって、理論と実技を身に付けなければなりません。

現在のドイツでは、7年半の勉強と修業を終えて資格試験に合格した整形外科靴マイスター約4000人が全国各地で活躍し、ドイツの医療・福祉の発展に貢献しています。


 



 
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