ドイツ整形外科靴技術

Orthopädieschuhtechnik
(整形外科靴技術)

ドイツ整形外科靴技術とは

第一次大戦後のドイツでは、戦傷による足部障がい者への対処のために、ワイマール憲法下の社会福祉政策の一環として、整形外科医と製靴職人との協力による特殊な製靴技術の開発が行われました。 

1937年には、20年近い医者と製靴職人との協働の成果を踏まえた教育システムが確立し、整形外科靴製造(オートペディーシューマッハー)マイスター(O.S.M)の資格制度も整いました。

靴を作る技術だけではない、解剖学、生理学、病理学等の医学的知識と靴作りという製造技術の両面をあわせ持つ、新しい専門職の誕生です。

整形外科靴マイスター

この技術が、東西ともに第二次大戦後の医療・福祉行政の進展に支えられて大きく発展し、「社会的福祉国家」を掲げた70年代西ドイツにおいて技術的にも制度的にも成熟しました。

その後、4,000人の整形外科靴マイスターたちが、福祉先進国=ドイツの担い手として、足部障がい者の生活向上のために、医師、理学療法士等の医療・福祉関係者との協働に励んでいます。

東西統一後の90年代以降、特に、今世紀になってからはEU統合の影響も大きく、経済財政状況の変化、福祉政策の後退等々の社会経済情勢の変化の中で新たな推移を辿っているようです。

もう少し詳しくは→

「ドイツ健康靴」と「日本人のための健康靴」

この技術を一般既製靴に取り入れ、人間の足と歩行に合理的な靴として開発されたものが、90年代から日本にも本格的に輸入され始めた「ドイツ健康靴」です。当時のドイツでは、足の健康を考える多くの人たちの日常靴として普及していましたが、日本でも、90年代から今世紀10年位までは、「ドイツ靴ブーム」と言われるほどに全国的に普及が進みました。

ただ注意しなければならないのは、これらはドイツ人のために開発された靴だということで、特に、骨格を矯正するためのアーチサポートを備えたフットベッドがドイツ人用のものですから、足の骨格が異なる日本人がそのまま履いたのでは、効果が期待できないだけでなく、トラブルの原因になる可能性もありました。

そのこともあり、「履きやすいので愛用していたが、やはり痛いのは変わらない」等々と、今日ではブームも去ってしまったようです。

また、「ドイツ靴」の方も、このかんのドイツ及びヨーロッパの経済社会情勢の変化の中で、機能的にも質的にも、私たちが知る往年の「ドイツ靴」を見つけることは困難になってしまったようです。

他方、ドイツ人マイスターでありながら、安易にドイツ靴に頼ることなく、自ら「日本人のための健康靴」を開発し「ショット・シューズ」と命名したのが、私たちが学んだカール=ハインツ・ショットでした。彼の主張は、「ドイツ健康靴を日本人が履くのであれば、カスタマイズすること」「そのまま履くためには、日本人用のフットベッドの開発が必要」というものでした。

そして、その考えに従い、実践してきたのがNPO法人靴総合技術研究所です。

エルデの靴は、この靴総研が、ドイツ整形外科靴技術に依って、日本人の足のデータから開発した「日本人のための健康靴」です。